水平と垂直と美の正体 バス停のある群像③ 

 

水平と垂直

水平と垂直が意識し始めたのは、人間が絵を描き始めたことからの概念としてありました。

 

この世は、水平と垂直でできている

 

その中で、近代になり、セザンヌの自然を注意深く観察し、科学のように法則性を見つけ、理論的に

絵を描くようになりました。

だから、近代絵画の父とよばれるようです。

 

カンディンスキーは理論派で、「点、線、そして面で」絵画の考え方をより深めることに成功しました。

彼の、具象の研究の末の抽象画が納得がいき、美しいものが多いですね。

 

人間の脳は理性的に見ているので、無意識のうちに混とんとした中から、垂直と水平を探し安心するようです。

ジャングルで長い間暮らしていた人が、日本に帰国して、自宅の階段を見て、美しいと感動したという話があります。

規則正しく並んでいるものは気持ちがいいということはアリマセンか。

規則正しく並んでいるんだけど、僅かに破綻している、僅かにくるっている、というところに美があります。

なぜなら、人間はそのわずかに破綻しているところを、正しく使用という意識が無意識に、完璧な造形の方向に進みます。

それは、人間の本能の欲求です。

その、本当はこう見たいともやもやしたもの、正しく見たい欲求そのものがが美の正体なのです

 

満月の月より、これから満月になろうとする、僅かに足りない、14夜の月が美しいのです。

15夜は少し寂しいですね。これは、水平線と同じで永遠性=死を感じさせるからなのです。

 

 

人間の作る物には、水平と垂直が必ず必要です。混とんとしたジャングルでは、美そのものが感じられないのです。

「人間の脳は、割り切れるようになっている」

という風に考えると、人間の作る建物、ビルディングから机、椅子に至るまで水平と垂直が使われます。

また、人間が死ぬと大地に倒れ、水平になり永遠性を獲得するというのも、人間らしい考え方です。

動物は本能に従い真っすぐ生きるので、水平と垂直に美があるとは夢にも思わないでしょう。

さて、Cの方は、室内ですが、外も見える室内です。内と外で見える風景も違ってくるでしょう。

真ん中の男性が主人公ですが、椅子を立って歩き始めした。

右に赤ちゃんを抱っこする女性を入れました。

左の男性を、もう少し手を入れようと思いましたが、今の状態がとてもきれいなので手を入れませんでした。

薄塗ですが、透明感があり、綺麗なのです。特に主人公でもないし、セザンヌにもはじが薄塗の作品が

いくらでもあるのでそのままにします。

顔の表情が出過ぎないように苦心します。塗っては削るの繰り返しです。

人物の足は難しいですが、方向性があるので調整します。

紫色を使いました。紫は黒と相性がいいようです。

青は、画面の上から下まで突き抜けるようにします。

向こう側に向かう女性が難しいです。後ろ姿はとくに難しいですね。あんまりはっきり描く必要はアリマセンが。

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