セザンヌが、卓上の静物を飽くことなく描き続けたのは、そこに一つの宇宙が存在したからですね。
極小と極大無限大は全くもって似通っているといえるでしょう。
閉じた空間であるなら、それは一つの宇宙といえるでしょう。
セザンヌはリンゴで宇宙を表現しました。構築された一つの宇宙は、
最終的には大水浴図につながるものでした。
マチスは、ルオーの弟子ですが、平板化を進め、
新しい世界を構築しました。物を見て描く態度にはいささかの
変更もありませんでした。マチスの最高傑作は何かといえば、
その自信の空間の考え方を再現した、彼の教会に
あるようです。いつか、行かなければなりませんね。
2次元空間である絵の解釈とはちがう空間認識をもてるかもしれません。
また、モネの水連のように、水面に映り込むことにより、上も下もなくなると、空間は楕円か円の方向から球に向かい
球体の固まりとしての空間になります。この解釈は、アインシュタインと同じ宇宙空間の認識に近くなりますね。
モネのあの橋のかかっているあの池もいつか行かねばなりませんね。
日本びいきで、庭まで作るとは、粋ですね。
また、とっても好きなシャルダンの静物画は、後から出てきたセザンヌやマチスの絵に多大な影響を与えていたことが
わかります。今見てもその強固な構成、水平と垂直を意識した空間認識。
時代を超えた完成度があります。かれは、もっともっと評価が高まってもいいのではないでしょうか。
シャルダンの自画像もとっても可愛いです。
しかし、彼の人生は苦難に満ちた辛口人生でした。
また、大好きなスーチンは静物画に死んだ生き物、つるされた鳥やウサギ、エイなどのモチーフを好んで使いました。
あの、倉庫のような壊れた赤いレンガの隙間につるされた鳥など、インパクトの強い絵があります。
あの、壊れたレンガの廃墟感と死骸という組み合わせが、決まってますね。
スーチンの絵はマチエールが厚いものが多いですが、なぜか、無彩色も濁らずすっきりしてますね。
きっと、絵具を筆につけて一気に引っ張るような切れのいい描き方をしているのですね。
瓶と紅茶の透明ポットだけの絵ですが、空間の響きがポイントですね。
この黄色という色が曲者で、なかなか決まりませんでしたが、「グリーンゴールド」を入れることで調子をとりました。
このような、単純に思える静物画が実は結構厄介なのです。
テーブルの上にまんべんなく置くとよくないので、「混んでいるところ」「何もないところ」を意識的に作り出さなければ
なりません。