忖度って何でしょう。閉塞感が漂っています。年号が変わり何かが変わることを期待している人々は、きっと、これから何か良いことが起こるよう、悪いことが起きねように願うのでしょう。令和元年、この時代はきっと真実が明かされ、忖度や後ろ向きの気持ち、あきらめの世界から解き放たれ、自由に生きることができるような世界になるといいですね。
芸術家は、自分自身の道を歩いていくので、ほかの人が何を言おうと関係ないと思われがちですが、その時代を生きることは、それだけで、やはり精神に深く影響を感じるものです。
世紀末芸術といえば、ペシミズム厭世、官能退廃など、爛熟腐敗の匂いがします。アカデミーとアールヌーボ、保守と革新のはざまで、自分自身でその変化を消化するするために、象徴主義的になるのでしょうか。
アンソール、クリムト、ロートレック、もちろんムンクも何か今引き付けられるのは、大きな変革を求めるが、出口が見えない。時代の閉塞感が感じられます。
小さな、箱庭的な幸せを求める若者の群れが見えます。都会から避難する。ゲーム、アニメのサブカルチャーの世界で満足しているのでしょう。また、そこは、居心地がよいものなのでしょう。
その中で、自分の芸術の方向性を決めるのは結構大変なことかもしれませんね。
美を求めるのは人間だけに与えられた能力、このことが宇宙の秘密につながっているのではないのでしょうか。
ゴッホは、生きている間は1枚しか売れなかったけど、彼の絵の美しさや真摯さ、教養は後世の人に勇気を与えるものですね。
セザンヌのように隠遁ともいえるような制作態度、評価が高まったのは最晩年、湧き上がる自負に、少しニヤッとしたそうです。
我らがムンクは、占領軍ナチスといっさいの接触を断ち、アトリエにこもり、「生命のフリーズ」の感性を急ぎました。
時の評価を気にしすぎることなく、自分の好きなように絵を描くことが大切です。
Keep on trying.