パリとムンクと新印象派から象徴主義への移行

これからはもう、読書する人や編み物をする女たちを描くべきではない

生きていて、呼吸し、感じ、苦悩し、愛する人間を描くべきだ

と、若きムンクは、自分のゆく道を決めたのでした。

この道を行くと決めた時の、青白き頬のムンクには迷いがありませんでした。

 

これを

サン・クルーの宣言といいます。1891年

 

ムンクすでに29歳

「生のフレーズ」「不安」「絶望」そして「接吻」

2度目の個展を開くもいまいちであり、妄想的だといものといやこれは独創的だと、

 

ここから、どう抜け出すのか、

 

呪われた女

吸血鬼

マドンナ

嫉妬

叫び

不安

絶望

死と少女

 

生きることは実に大変なことですね。

 

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