この日は、スケッチブックをもって出かけます。
ムンクのサマーハウスに向かいます。これまでに、ムンク美術館で学習しているので、
さらに思い出深いものになるのでしょう。
電車で1時間10分、バスで30分
このバスの乗り方を研究していたら、グーグルマップの優秀さがホントに身に染みて分かりますね。
バスの路線図から、地図に、時刻表、乗換案内まですべてが網羅されていますね。
こんなものをタダて提供するとは、
MITの天才たちに感謝します。
海に面した小さな小屋です。
調べたら、ツアーがあるようです。入場料と合わせて1120円
このホームページを見たら、オースゴールストランで描いた絵の場所が地図で示されていました。
あの、桟橋の少女の場所もありました。
ぜひ行きたいですね。
丸一日ここで過ごします。いろいろな場所でスケッチします。
ムンクの絵によく出てくる漬物石の写真をたくさん撮ります。
あと桟橋の少女の桟橋も。
ムンクはこのテーマが気に入っていて、12枚もの作品がありますよ。
少女たちがのぞき込む、暗く不純な不安を暗示する海面。それと対照的な鮮やかな色の服、
3人の少女たちの確固たる存在感がこの絵のテーマです。
ここで、多くのインスピレーションを得たムンクに近づくことが出来るでしょう。
この、避暑地での出来事はムンクの芸術に多大なる影響を与えました。
かの、銃の暴発事件があったのもここ、
しかし、この暴発事件を境に、ムンクの絵はまた変わり、明るくなっていきます。
一つのターニングポイントとなりました。
ムンクの風景に繰り返し出てくる、うねる線は、このフイヨルドの作る風景のようです。
緩やかに湾曲する入江、浜辺にゴロゴロしている大きな丸い石、ふつうはない故郷のフォルムが彼の原風景として
いつでも、繰り返し出てきます。
浜辺の石ころと同化した自分、孤独で誰からも見放された存在。
夏の避暑地、白夜、お祭り、ダンスこのいかにも不純なものを含みながらも、人間の奥底にある感情を揺さぶるなにか。
それが、このオースゴールストランにあるのです。
ピストル暴発事件で、左手中指の第2関節まで失った、失意のムンクは、オースゴールストランを去り、
アル―コール依存と、神経症で1908年コペンハーゲンのヤコブソン博士を頼ることになる。8か月ここで過ごす。
しかし、彼の画家としての評価は、暴発後に急に高まることになり、有力なパトロン(リンデ博士眼科医)もつく。
支持者、後援者が増えだした。
死や病気への不安から、「生」の方向に芸術が急展開したのです。
1916年晩年のムンクは、エーケリに広大な土地と家を買うことが出来た。
オスロ市庁舎の壁画、チョコレート工場の食堂の絵などを制作。
絵だけの孤独な追求が静かに彼を支配した。
残念なのは、ナチスの占領です。
もちろん、彼は一切の関わりを断ちました。
しかし、鉄道チケットは4000円もしました。1時間10分の距離にしては高いような気がしますね。往復で8000円