函館生まれのわたくしは、この温暖な函館を心より愛していました。

とにかく、港とか空港とか、世界中に出て行けるところが好き。駅もすき、どこかに放浪願望があるのでしょう。

ロマンがあるといった方がカッコいい。

今でも、きっと中央ふ頭あたりには、会社をさぼっている会社員が車をとめて、ぼんやり、海を眺めているに違いありません。

これは裏夜景ですな、横津岳あたりからかな

この退屈で、閉塞されたいつ終わるとも知れない世界、港町には、抜けだすチャンスがあるのです。

また、異国からきた異邦人が、外人墓地に眠っています。

空はどこまでもつながっています。きっと、異国の空に思いをはせ、眠り続けるのでしょう。

外人墓地に立って、海を眺めていたら、外国船がゆっくりと港をはなれていきます。この古い街には、

世界中の思いの残滓が流れているのです。

また、商売で財を成したり、戊辰戦争で戦い、たおれた若き武士の魂も、今となっては、吹き抜ける風のほんの片隅に残るのみ

しかし、ここは北海道、新大地、開拓して切り開くという、前向きの力がその残滓を昇華させているのです。

田舎にありがちな、ドロドロとした因習はありません。

爽やかな風が吹いているのです。

さて、五島軒ですが、ここは、老舗ですが。明治12年創業、

その明治時代から「レストラン五島軒」と名乗った洒落た店、

初代は聖ハリストス正教会でロシア料理を修業という由緒正しさ

2代目は、帝国ホテルで修業という正統派

昔からリーズナブルな店でもあるのです。こだわりをうたってきたのは最近です。

いわゆる、ブランド化というやつですか。

私が知っている五島軒は、函館山にあるやつではなく、昔駅前にあった、拓銀ビルの何階かにあった、五島軒です。

兄のピアノの発表会に無理やりつれていかれ、窮屈なタイツなんか履いちゃって非常にいやでした。

しかし、そのあと、五島軒で、カレーやコロッケ(俵型)、お子様ランチを食べれるのがうれしかったのです。

あと、行啓通(五稜郭公園近く)に支店があって、そこで食べるのは、バイト代や家庭教師の給料が入ったときです。

懐かしいですね。

いまは、五稜郭タワーの2階に移ったそうです。

前の天皇皇后両陛下も食べられましたということです。

そのカレーは、いま、スーパーでも売っているレトルトや缶詰の商品もありますね。

その当時は、日本はまだ貧しく洋食なんて食べてはいなかったでしょう。しかし、函館は日本で一番早くに開港した港、

実に港に向いている天然の良港

1800年はじめから開発が進み、1859年(安政6)に横浜や長崎とともに正式開港、税関が作られました。

早くから西洋人がいたのです。

さて、そのカレーや、デミグラスソースのお味は、

どっしりとした正統派のカレーやソースです。

今の時代では、ちょっと重厚すぎるコクがありすぎるかもしれません。

しかし、

聖ハリストス正教会と帝国ホテルと北海道の味の濃い食材のコラボ

絶対食べる価値はありです。

PS、調べたら札幌にもあった、今度行きます。

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