夏の山は、緑緑緑しているので形がとらえづらいですね。セザンヌがあのサントビクトワール山、、岩山を描いたわけがわかります。
立体的に、とらえるためのモデルとして、必要だったのでしょう。
北海道の画家、木田金次郎を知っていますか。
有島武郎の「生れ出づる悩み」のモデルです。
札幌芸術の森に有島武郎の家もありますよ。
木田金次郎は、東京で有島の絵を見て感銘を受け、有島と交流があったが、故郷の北海道岩内に帰り漁業をしていたが、有島がああいう形で死去したのを境に、また、画業にせいをだすことになった。意外にも一期、町議会議員にもなったりしました。
風景が主ですが、薔薇の絵を描いた静物もよく評判をとりました。
北海道銀行に、理解者がいて、いいコレクションがあって、それが、
岩内の木田金次郎個人美術館(ぜひ行ってください)
盛れ上がる山、地面の下からエネルギーがあふれてきます。
に帰ってきました。
しかし、生活は赤貧中の赤貧、苦しく、住居も転々としていました。
光がさすのが、梵年になってからでした。
60歳で札幌丸井デパートで初個展、大評判になったものの、その翌年、岩内の大火で、自作千五百点余りを焼失、
なんと、やりきれない気持ちだったでしょう。つらかったでしょう。三日三晩一睡もしなかったといいます。
そのあと、猛烈に奮闘、新作は激しく強いタッチになってその迫力はすごいものだったという。
個展を次々成功させ、稼いだお金で、アトリエを新築など、大車輪の活躍でしたが、その無理がたたり、
68歳で死去
岩内の地に眠りました。
彼の山は、地面から盛り上がってくるように描かれています。
よく、凡庸な風景画では、地面と山が分離しているかのように見えるのがありますが。
金次郎の山は、まるで超巨大な木のごとく、地中に根をはり、上の山を支えているのです。地中のマグマが、土地を押しあげ、マグマそのものが岩になったように描かれていて、その躍動感はまさに、金次郎そのものではないでしょうか。
ここで本題に戻って、岩山ですが、
泊原発の上の、盃というところに、弁天島というのがあって、茂岩(モイワ)があります。
弁天島イコール茂岩です。ここを金次郎が気に入って、てくてく何時間も歩いてきては、スケッチを繰り返しました。
絵も何点も残っていて、行ってみると、海に突き出たただの岩山です。
セザンヌと同じように、形をとらえるモデルとして、何度も、初心に帰って練習したのでしょうね。
地面から突き出た岩山、生命感がありますよ。
小さく閉ざされた世界の中で、マグマのように激しく自由な生命そこが魅力ですね。