今日の、猫の手カエルのしっぽは8年前の総集編でした。
ベニシアさんが若い(当たり前ですけど)
ふっくらとしていました。よもぎをつかったおやつが美味しそうでした。北海道でもよもぎは春のうれしさを感じる
草団子などを作りますよ。
正さんと歩いていた時の、あのワンピースが素敵でしたね。西洋人はああいう服がよく似合います。
ミントやセージを取り入れることで、季節感と健康や、滋養強壮などをソフトに実行していくのはいいことです。
合成的な薬に頼る前に自然にあるもので予防していく。
人類が生まれてから、ずっと地球上にあるものを利用してきたわけですから、きっと何気ない植物も
人間にとって役立つものが多いのでしょう。
ユージン君、孫のジョー君の成長ぶりがうれしいです。きっと、テレビには映らない所で多くの問題や
葛藤かあり、人生は進んでいっているのでしょう。
8年後に、進行性の病気にかかってしまう運命は誰にもわかりません。
しかし、その時その時に、しっかりと考えて生きていくのは、どんな人にも共通することでしょう。
「隣りの芝生は青い」
などど、いう嫉妬めいた単純なことではなくて、
「だれもが、誰かを愛している。」「誰かを、幸せにするために生れてきた。」
というところに進み。
みんな、大変なことを抱えながら、生きていく。
ザッツ ライフということでしょう。
8年前の、ベニシアさんの庭はまだ、スカスカ、8年かけて今のような素晴らしい庭を作り上げたのでしょう。
庭を作りながら、自分の人生を、自問自答しながら生活してきたのでしょうね。
春夏秋冬、人生にもいろいろな季節があり、でも決して止まることはない、必ず移りめぐるものです。
「終らない冬はない」
もうすぐ春です。
北海道にいると、大きな展覧会は回ってくることが少ないですね。だから、年に一回は東京に行って
絵を見ることにしています。
2019年の4月はクリムト展、クリムトの芸術については非常に装飾的な建物の内装とか
での名声が高く、絵については、
1897年に自前の展覧会場を有したグループの中心人物でした。
どこから分離したかというと、当時のウイーンの保守派の芸術集団から分離したということです。ウイーンは保守派が台頭していたということです。
「時代には芸術を、芸術には自由を」を掲げていました。
しかし、わたくしが一番気にっているのは、分離派とか保守派とかでなく、クリムトとシーレの交流が好きなんです。
1907年 若きエゴン・シーレに出会う、シーレ17歳。クリムト45歳、まさに親子ほどの違いです。
1907年 ピカソが「アヴィニョンの女」を描く。まさに、パリで芸術が花開こうとしていた時です。
この28歳差の二人の出会いが二人の絵画世界を広げたように思えます。クリムトは若いシーレを援助しながら、自身もまた刺激を
受けながら新しい芸術を作っていきました。
二人の交流とシーレの悲劇的な最後
まったく、不思議な縁としか思えません。人間の出会いの不思議さはいつの時代もあるものですね。
終わりは、一緒でした。
1918年2月6日、師匠のクリムト死去、脳卒中、享年56歳、彼の父親、弟も脳卒中でなくなっている。
1918年10月31日 エゴン・シーレ死去、スペイン風邪、享年28歳、妻もその3日前に、スペイン風邪で死去。
師弟関係で、シーレには大きな影響があります。また、二人の風景画は、Sのキャンバス。(正方形のキャンバス)に描かれた
対岸の風景はとても面白いです。
そこで、対岸の風景ですが、人物を入れると、いきなりムンクぽくなるのが不思議ですね。
雪景色の中にも、春の気配が必ずある。ずーと冬ということはないのがいいですね。
右の方に重心が傾いているような気がしますね。左側で押さえるものを付け加えなければ
ならないかもしれません。
しかし、あまり囲うようにすると、空間が息苦しくなってしまいます。そこを、何とかしないといけませんね。
2月も中旬を過ぎて、日も長くなってきました。
春をまつ手紙を書く時です。