デイドリームビリーバー バス停のある群像④ 

 

ずっと夢見て安心してた。

アトリエでぼんやりしていたら、そんな歌詞がふっと頭をよぎりました。いったい自分の人生というものを

どうとらえていたのかといえば、

そういうことなんです。

モンキーズのヒット曲ですが、忌野清志郎が歌詞を付けたのが素敵です。歌は、高畑充希がいいですね、この子は才能があります。

力いっぱいうたわないところが上手なのです。

 

絵を描くことは、私に、ずっと夢を見させてくれました。

何十年やっても、まだ、面白い、興味深いのです。公募展に出しながら、グループ展をやって、作品を世に発表し続けてきました。

なんか賞でもくれないかな、なんて、時には考えますが、それは、それで別のような気がします。

そこに、夢を見ることはできない。

 

求めるものは、熱中してボーっとなる時、忘我になったときの心の解放感です。

 

それが、夢みたく素敵な瞬間なのです。

宇宙にポーン飛び出たような自由を感じます。体は疲れす、精神が研ぎ澄まされます。

 

色と形だけの2次元空間なのに、無限を感じます。

 

私が死ねば、きっとこの無名の画家の作品は、ゴミ箱行でしょう。それは、それでいいのです。

 

長いこと、サラリーマンをやってますと、長いものにまかれ、争いをさけ、妥協を続ける生活で心は真っ黒

同じことの繰り返しの日常性との戦いに疲れ、よどんだ瞳で空を見上げているのです。

心が、たましいが押さえられて、苦しいし、すっかり汚れ純粋さが失われていくのです。

 

絵を描くということは、旅と冒険そのもの、それこそが生きる力になるのです。

こういうことを考えているので、デイドリームビリーバーなのです。まったく、いい年こいて何やってんだか、同期はみな

それぞれ偉くなりました。競争には負けたようです。

 

さて、Cの方を急いで進めます、残すところを手を入れないように、注意して進みます。描きすぎると、色が濁り、マチエールは

ドンくさくなるのです。しかし、デッサンがくるっていると気になりますね。

 

中央の主人公の男の顔が決まりません、真ん丸より、長く伸ばした方がいいみたいですが、分かりません。表情ははっきりしなくていいので

大きめの筆で、バサッと決めたいですね。

歩き出す感じを出すのが難しいです。

 

セザンヌの画集を見て、また、研究します。しかし、セザンヌはなぜに、ここまで到達できたのでしょう。あまり、強烈なエピソードは

ありません、落ち着いてじっくり取り組んだということなのかもしれませんね。タッチをそろえながら、大きなカテドラルを構築していく

まさに、ヨーロッパ人そのものを体現していますね。

晩年、評価が高まったとき、セザンヌはどう思っていたのかな?

「よっしゃー!」なんてね。

そういうことはないでしょうが。

 

ムンクも、初期は厚塗りですが、次第に薄塗になり、その、画面はみずみずしくインパクトを与えてきますね。この、スピード感が現代風で

表現主義的ですね。

 

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