バブルではないホントの高度成長期のときの函館はすごかった
函館生まれのわたくしの小さいときは、それはもうにぎわった町でしたね。
日本全体が、所得倍増計画、そのあとの田中角栄の日本列島改造論でそれはもう勢いがあったのです。
もう一つの要因は、まだ、北洋漁業が全盛期で、その基地の函館港は、景気よく盛り上がっていたのです。サケマス軍団と呼ばれました。すごいネーミングですね。
サブちゃん(北島三郎のこと)か都はるみの曲をガンガン鳴らしながら、暴走族さながらに飛び出していくのは、独航船です。独航船はいち早く漁場につかねばなりません。
母船が出るのはゆっくりです。マルハ大洋漁業は、プロ野球チームを持っていたほどです。いまの、横浜ベイスターズ。
サケ缶を作るのですが、その当時でも、紅鮭の鮭缶が貴重で美味しかったです。
どういうわけだか、クジラもたくさん出回り、今でもクジラのベーコンなんかりますけど、その当時は肉を醤油で味付けをして、竜田揚げにして給食によく出たものでした。
昔の、大門(飲み屋街)て言ったら、すすきのなんか比べ物にならないほど、豪華で、料亭なんかもあったのです。
北洋から帰った漁師さんたちは、お金の使いっぷりもよく、札束を新聞紙にくるんで給料をもらい、それをもって飲みに来たといいます。
すごいですね。
しかし、北洋が衰退し、基地が釧路に置かれるようになると、次第に人通りも少なく、賑わいも無くなっていったのです。
昔は、駅前がにぎわっていたんです。それが、今は五稜郭地区の方がにぎわっているのです。
水産業から観光に軸足が変わった来たのでした。
さて、今の新五稜郭タワーは豪華ですね。昔の五稜郭タワーは1964~2006年までの営業、金づちみたいなシンプルなデザインでした。
その、一階は今でいうゲームセンター、ビデオゲームはありませんでした。コルク玉を打つ射的とか、もぐらたたきとか、ドライブゲーム(ハンドルの先に小さな車がついていて、ベルトコンベヤーみたいな上のやつを走らせる)で遊びました。
駄菓子屋の、甘いようなにおい、カラメルのようなにおいの中で幸せでした。
これからの世の中が、だんだん良くなるぞという雰囲気を子どもながらに感じていたのでしょうね。
家にはまだ電話がなく、呼び出しでした。今の人は知らないでしょうね。電話の持ってる人が少なかったのです。
昔は電話を引くだけで、何万円もかかったのでした一つの財産としての扱いだったのです。
テレビも白黒、今は夢のような世界になりましたが。
だんだんよくなるぞとは思えないのが残念なところです。
五稜郭公園の裏に駐車場がありますが、そのちょっと行ったところに、旧戸井線があり、廃墟好きの人はそれをたどって楽しむこともできますね。
JRの五稜郭駅から、戸井、湯の川。恵山方面にはアーチ橋も残っていますね。
JRの五稜郭駅は、五稜郭公園の最寄りの駅ではないのでお間違えなく。公園は遠いですよ。
なぜ、あの駅が五稜郭駅というのか謎ですね。すぐそこに五稜郭があるという錯覚をする人がいるんじゃないかな。
あそこに、釣具屋さんがあって、小学生の時は釣りの餌を友達と買って、中央ふ頭なんかで釣りをしました。
のどかですね。幸せだったな。
昔は、JRの五稜郭工場は、札幌の苗穂工場に次ぐ大きな工場でしたね。SLもいっぱい見ましたよ。