駅前から近くて歩いていけます。
新選組のイケメン切り込み隊長土方歳三は、最後に腹部に銃弾を受け落馬、35歳死亡。
気性が激しかったらしい。
突撃したくなかった、友軍が撃ったという話もあるくらいでです。
いま、碑は道路沿いに移されたが、すぐそこの中央分離帯あたりだったと思われる。
すごく寂しいとこではないが、なにか、感じられる場所です。
夢、哀れ、理想と現実、
土方さんの遺体は密かに五稜郭に埋葬されたという。
江差沖であの開陽丸さえ座礁しなかったら、戦況は変わっていたでしょう。
興味のある方は、江差まで足を延ばして、
嘆きの松をたたいてきてください。
しかし、ここも強者どもの夢の跡ですね。
駅前から歩いて行けますよ。今はみんなスマホ持ってるから迷うことはありませんよ。
昔の函館は、北洋のサケ漁の母港として、すごくにぎわっていたんですよ。
そのころ、サッポロはすごい田舎だった。北洋から帰ってきた漁船員は札束をもって、「駅前」大門(だいもん)で豪遊をしていたのですよ。
豪華な料亭が肩を並べ営業してたんですよ。
それが、いまのさびれ具合は目を覆うばかりですね。
駅前から、土方の最後の地まで歩いていくと。
栄枯盛衰
ということがば、はっきりと胸に迫って、泣くこと必至です。
函館のような歴史のある町は、いろんなところで人がなくなっていて、その、思念、思いを土地が持っているのです。
まあ、京都ほどではないけれど。
横浜と同時に開港した函館は、
いろいろな人間模様を、土地にしみこませながら、風に吹かれてきたんです。
江戸時代では、一二を競う、西洋化された町だったんですよ。
また、函館大火では、なんと2000名以上の犠牲者を出したんですよ。昭和9年3月21日
また、焼け死んだのではなく、半分の約1000人がおぼれたんです。
川に逃げ込んで、逃げ道をうしなった、また、大森浜(啄木の公園がある)では、逃げたはいいが、今度は波にさらわれたり、凍死したり散々だった。
この年初めて、札幌市が道内一番の人口を有するようになったのです。
また、ブラタモリでもやっていましたが、陸繋島の珍しい地形が、夜景を美しくしているのです。
夜景をぜひ見てくださいね。
扇型で形がいい上に、内緒で街灯をうまい具合に配置しているんですよ。
また反対側の横津岳(よこつだけ)の方から函館山の方を見る、逆夜景もきれいですよ。
でも、横津岳でピンと来た人は航空関係に詳しい人ですね。
1971年7月3日に東亜国内航空のYS-11ばんだい号が横津岳に墜落、乗客乗員68名が全員死亡したんですよ。原因は不明。
今回は、なんか怖くなってきましたね。
最後に、せっかく函館に来たんだから、海も見てください。太平洋側がいいですね。
立待岬(たちまちみさき)から見ます。
ここもね、実はね。・・・・・・