カーリング女子に励まされる。ゴッホとルソー 油絵制作Bの⑧ 

 

努力が形になるのはうれしいものですよね。しかし、オリンピックのように相手があって競うものは

やはり、勝ち負けが端的に表れるので厳しいですね。

 

「勝った負けた」はつらい。

「上には上がある」ということもありますね。

 

こと、芸術の場合はどうでしょう。勝ち負けはあるのでしょうか

少なくとも売れた、売れないは、現実にあるけれど、死後に評価が上がることは

よくありますね。

自分で評価せず、人の評価を鵜吞みにすることは、あまり意味がありません。

お宝鑑定団ではないけれど、自分で好きなものは好きと言えればいいのではいいのでは

無いでしょうか。

 

自分の感性に責任をもつ、

自分の感性ぐらい自分で守る。

 

ゴッホは、生きてる間にちっとも絵が売れなかった。彼は、負けたのでしょうか。

 

「絵に打ち込み、没頭した日々。忘我の日々」が、彼にとっての生きた証ですね。

 

その生きた証が、今、世界中の人々を幸せにしていることを考えると、芸術は時を超え、人類の役に立のですね。

 

しかし、歴史に埋もれた人が、再発見、再評価され脚光を浴びることがあります。あれは、偶然が生み出すこと、

誰にもわからない。

 

やはりあきらめずに続けるしかありませんね。

いつか、発見されるかもしれないし、そのまま埋もれ、そのうちに人類滅亡となるかもしれませんね。

 

あの、素朴派といわれた、中年まで税関管理人をしていたルソー、現物をオルセーで見た時に吹っ飛びました。

 

その美しさと、緊張感、クリスタルの海に入ったような静けさ、単純に感動しました。

 

あの、瞬間瞬間の一筆、一筆は、感覚的なもの。

 

指先や筋肉の動きの的確さと、即興性、臨機応変のフイりーングは、

カーリングの、ストーンを手放す時に指先に感じられるものと同じような気がします。

 

そだねー、カーリング女子をみて感心しました。

 

 

さて、Bの方は、右側の電信柱が消えました。空間的に閉塞してきたので、思い切って抜きました。電信柱というものは

日本独特なものかもしれませんね。

先進国で、こんなに、電信柱のある国はないのかもしれませんね。

地震の多い国なので、早く、復興するためには、何処で切れたのかすぐわかる、電信柱が有利ですね。

 

左側は、塀と建物、と、透けた人物。簡単に言えばあんまりはっきり描かなくてもいいのかも。中心の3人をしっかり描いたほうが

いいかもしれませんね。

 

人物は歩き始めました。

 

寒色系が増えてきて、バルールがくるってきているので、空は白い雲や黄色、マゼンダなどが空間に混じってくるのかもしれません。

 

星月夜という発想もあるので、空の空間には、星が入っていますが。消えると思います。時間の設定を迷っているので、

昼がいいのか、夕方、夜、迷いますね。

 

街角、通り、などは、人が行きかう場所、現代に生きる人は、どこに向かって移動しているのでしょう。

それとも、いまは、停滞する時代なのか。

 

家や家族の概念はどう変わった行くのでしょうね。

 

しかし、人は誰しも旅人。一時も同じことは起きることはありません。

 

 

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