ジャクソン・ポロック問題 駅員のいる群像17 

 

色々盛り込むことで、始めますが段々人は消え、単純化されます。

あーもしたい、こうもしたいと考えるけどいいアイデアはなかなか浮かばないものです。

盛り込み過ぎはよくありませんんが、説明不足になることになります。

物語的な絵よりも、構図がしっかりとした、建築物みたいなえが描きたいですね。

 

絵具ツボを公衆の顔に投げつけるようなこと

ジャクソンポロックは、絵具をそのままたらしたり、投げつけたり、絵具の混ざりなどいろいろ細かい部分の検討をしていたようですが、

アクションペインティング、その、作品というよりも、作品を作る時の行為そのものが芸術といえると定義することにしたところが大きいですね。

自分の中にあるエネルギーの解放、は、抽象主義とは違うプロセスですね。

カンディンスキーにしろモンドリアンにしろ、はじめは具象物を解体していくことで抽象に達しました。

 

ジャクソンポロックの1950年代はあっという間に過ぎましたね。

 

この後の、ポップアートは、大量生産、大量消費という実にアメリカ的なもの、

チープだけど大衆への影響力は大きいですね。

具象絵画の復権が求めれれている現在、どんな方向性があるのか考えますが、

人間は驚くほど進化はしていなく、

生きること、死ぬこと、生命ということ

出会うこと、分かれること

孤独、

など、テーマはいまだ変わらず。アダムとイブから変わっていません。

西洋では、それプラス。宗教がありますね。

 

さて、向こう側に向かっていた女性は消えました。地面の線から離れたので、うまく入らなくなりました。

三角形の構図を、強調しながら構成を、再構築してみました。

しかし、このままではテーマがはっきりしないので、何かを考えなければなりません。

これが難しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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