アトリエの中には、たくさんの絵があるものですが、描き始めの絵具のしゃぶしゃぶした感じは良いものですね。
手を入れるにしたがって、彩度は落ちていくもの、一様に手を入れるのではなく、綺麗で残したい部分は、手をしばりつけてもそのままに
しておかなければなりません。
三部作の最後は、中央の男が歩き始めるところです。
歩く人、待つ人、最後は歩き始める人です。人生いろいろですが、いつかは歩き始めるときがくるようですね。
その瞬間の気持ちは
きっと尊いものでしょう。
何かを始めようと、自分で勇気を出して、歩き始めた時の気持ちをいつまでも忘れずにいたいですね。
カンディンスキーはモスクワ生まれの、ロシア人です。
初期の絵は、シャガールに画風が似ているようです。色彩画家でフォーブ(野獣派)といってもよいでしょう。実に、明快な色で描いています。
モスクワ大学法学部卒業、インテリですね。将来を嘱望されていたのにも関わらずに、大学講師の誘いを断って、ドイツ、ミュンヘンの画塾に通いだす。
もう、30歳
フランツマルクと交流、マルケ、クレーなどと「青騎士」結成。
抽象絵画の実践と理論構築に力を発揮する、バウハウスの副校長になる。
60歳になり、集大成「点・線から面へ」を出版。退廃芸術として57点もの作品を没収される。
初期のゴッホばりの絵具たっぷりの絵から、点描の「馬上の恋人たち」点が面になってきた1908年、
そして、色と形の即興シリーズから、抽象にむけて走り出す。
1911年以降は、画面の単純化と即興、印象による、半具象に到達。
1913年以降は、抽象絵画の先頭を走ることになる。その間も、具象の絵を描いており、カンディンスキーの抽象は、具象を分解していったものと
思われる。
点線面からイメージをカンバスに定着させる仕事、よくよく見れば、その形のもとは、例えば、ヨットであったり、三日月、魚、橋、道など
画家本人の中に蓄積された、イメージの放出ともいえる。
パウルクレーもそうだが、理論と即興の間で芸術を完成させているのが面白いですね。
戦後、なくなってからも評価は高まる一方ですね。
さて、悩む人は、下向きでひじをついています。顔はレモンイエローを
塗っておきます。このレモンという色は、混色に弱く、色の彩度が
すぐ落ちるのですが、適度にグラデーションがかかるのがいいですね。
例えば、ブラックとの混色には、凄く弱いのですが。混ぜないで、筆の上に乗せる感覚で
すばやく描くといい感じになるのです。この微妙なグラデーションは、計算してもできるものではありません。
現場で、何回もやっているうちにたまにいい感じの線が弾けるのです。
この悩める老人の顔を見てください。いい感じではありませんか。