セザンヌ、ムンク、ピカソ 油絵制作に向かって キャンバスを貼る

また、新しい絵を始めます。F100です。

エンジンを一回切ってしまうと、描き始めるのが困難になります。毎日、1時間ほど描くようにします。そうしないと、なまけ癖が出てきて、公募展用の絵しか描かなくなり、自己模倣に陥ってしますからです。物を似て描く、静物、風景の仕事も同時に進行しなければなりません。

自己模倣から抜け出すためには、毎日、少しずつでも前進することです。

自己模倣を繰り返すと楽ですが、次第に絵を描く手順が決まってしまい、同じルーチンになり、工芸品を生み出すようになります。工芸品でも、お土産物屋程度のできでしかなくなります。スポーツ選手と同じで、トレーニングは欠かせません。

瞬間と永遠のはざまでドキドキすることが芸術なのに、

全くドキドキせずに、ただ、テクニックを積み上げる、心の動かない物になり下がってしまうのです。

それは、技術に頼り、真剣に生きていないからではないでしょうか。日々起きることに鈍感になり、長いものに巻かれるうちに、妥協、えこひいき、ずる、に浸り、自分の色彩を汚してしまっているのではないでしょうか。

新鮮で純粋な目を持つことは、今の時代なかなか難しいことなのでしょう。

それは、また、自分に対する叱咤でもありますね。

キャンバス、絵具を背負い、荒野を歩くゴッホの頭の中は、新しい表現、やってみたいことがいっぱいでその足取りは、軽いのでしょう。

テオにどんな手紙を書こうか、何を教えようか考えていたに違いありません。

毎日、スケッチに出かけるセザンヌは、自分の絵についての自己肯定感を高めていたのでしょう。

セザンヌは、何度も、サロンに挑戦しては落選する中で、自分の絵を貫き通すのは大変だったでしょう。

最晩年60も過ぎたあたりからの、高評価は、さもありなんと、心の中で微笑んだでしょう。

大水浴図を、完成させたときの喜びと自負は大きなものだったでしょう。

ムンクもまた、激しすぎる前半生と晩年の穏やかさともに、これは、ムンクの絵でしかないが、まったく新しい発想で書かれているものと同じテーマを深く追求して変遷をしている絵がありますね。同じテーマを扱い自己模倣をひどく嫌った彼の仕事は、驚嘆すべきものですね

また、おなじみピカソは、青の時代、バラ色の時代、アフリカ彫刻の時代、セザンヌ的キューブの時代、ゲルニカの時代、OOの時代、キューブ、もうかぞえきれないほどの変化をしていますね。天才のなせる業、と言ってしまえばその通りですが。絵を描く以上は、心構えだけでも高く持っていたいものです。

いろいろ、デッサンをしてみましたが、結局今日はここまで、しかし、消した後の線とか、マッスの絡まりがなかなかいいじゃありませんか。

抽象描いてみようかな。

 

 

 

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