2023年の終わりに
神のみぞ知る等言葉があります。
あしたのことは誰も知らないということです。
しかしながら、誰しも平穏に暮らしたいものです。
今年は、ベニシアさんが亡くなってしまったので、非常に張り合いのない生活を送っていました。
シンプルライフ
自然とともに生きる。これが、いま一番求められるテーマです。
しかしながら、お金持ちは、宇宙観光旅行に大事な資源を無駄遣いし、汚染を進め、
政治家は税金を湯水のように使っています。
また、私の住んでいる札幌でも痛ましい事故が起きました。
車のタイヤが外れ、坂道を歩いていた親子連れを直撃
幼稚園に通う女の子が、意識不明の重体ということでした
不運としか言いようのないできごとが実際には起こります。
それを見聞きし、自分の状況と比べて、
まだ自分は幸せであると確認する事があります。
「まだ、マシであると」
人はいずれ死ぬということは、十分わかっているのだけれど、
実感として身近に感じる時は、病気になった時でしょう。
そして、自分の人生を振り返る時にも、
「まだマシであると」
「中ぐらいが丁度いい」
下の方かもしれませんが、人はどんどん低い方に流れる傾向があるので、
どんどん下を向いていくのです。
何の努力もせずに、無為に過ごしている様に見えるひとでも、
立派な行いをしていたりして、同列には出来ません。
ひとそれぞれで、ほかのひとがあれこれ言う物ではないようです。
自分がそう思いたいと言うことです。
また、こういう物もあります。
「他人の不幸は蜜の味」
この、比べる習慣は、少し爽やかではないと思えます。
不景気が長く続き、多くの人が傷んでいます。
政治家は、いらない箱物を作り続けて、環境を壊し、
そして、人々特に子供たちが病んでいきます。
教育にはお金を使わないので、教員の質は低下していきました。
低賃金、サービス残業で疲弊し、また、モンシターペアレントの
対応で神経をすり減らして、いい教員は辞めて行きました。
今いるのは、崖っぷちで耐える少数のいい教員と、情熱がなく、
教育者としては向かない、サラリーマン教員のみとなっています。
度重なる不祥事がそれを表しています。
コロナが吹き荒れた4年間、私たちは何を学んだのでしょうか。
ロシアは歴史に学ぶことはなく、
イスラエルとハマスは折り合いをつける事ができません。
実に厳しいです。
ポジティブ思考が大事だといいますが、なかなかそこへ持っていくには
エナジーが必要です。
こんな時は、芸術に触れるに限ります。
やっぱりムンクです。
生と死、習慣と永遠、ドイツ表現主義
実に興味深いです。
それに引き換え、現代アートときたら、違うジャンルの漫画のまねをしたり、
写真ソックリさん絵画を描いてたり、決まって、なぜか若い女性を好み、少し気持ちがわかりません。
人生の真実はそこにあるのでしょうか。