これは、大金持ちの祖父の遺産だから値段が高い(価値がある)とおもう
100万円でお願いします。
鑑定します。カタカタカタ
3万円でした。
値段の高いものだけを、価値基準にすると、本質を見失いますね。
この人の価値は、お金です。
多いです。こういうひと。
自分の審美眼、自分の感性というものが、お金というもので濁っているのです。
また、こういうタイプの人をだます、わるい業者もいる様です。
この人は、表装に50万かけたそうです。
例えば、こういうのはどうでしょうか。
これは、大好きな祖母が気にっていて、生きてるときによく見せてくれたものです。
祖母との思い出は、素晴らしいものでした。
芸術というもののすばらしさを教えてくれました。
美しさとは自分の中に初めからあって、綺麗な目をしている限り発見できるものだと。
外の世界は、自分とは異なるものだと。
自由を奪われ、人の言いなりになったり、長いものに巻かれているうちに、心は汚れていくものだと。
1人きりになっても大丈夫。
あなたと同じように独りぼっちの人が結構いて、その人たち(綺麗な目の人たち)とつながることは
とても簡単。
出会ったらすぐ分かるから、同類だと。
一気に親友になれるわよ。
心配しなくてもいいということよ。
わたしも、この作品が好きで、思い出といっしょに大事にします。
この人は、祖母との思い出は、プライスレス。
自分の感性は自分で守る、
誰が何を言おうと関係ない。
尊いことですね。
昔の大家といわれる人は、贋作も多いですが。
ですが、やはり、真作との差は、素人でも見分けることが出来るようです。
子どもでもと言い換えてもいいかもしれませんね。
欲に目のくらんだ人が、作品をじっと見ることもなく、真作だったら1000万円だ、
と興奮するのににています。
だれだれのものだから来るということはありません。
いいものは、直接的に来る
そして、よくよくみると、コンポジションとか、色、動き、バルールに気付くということです。
初めに、技術的なものには目が向かないものです。
展覧会でも、例えば後期印象派展なるものがあるとしますね。
セザンヌは3点あるとしますね。
子どもでも、そのセザンヌの3点は見抜くことが出来るでしょう。
その時代の、画家の絵には見向きもしないでしょうね。
そこだけ、空気が違う。絵に奥行きがある。絵を中心に球のような空気の塊が見える。
この前、国立西洋美術館の常設を見ていたら、欧米人の3人娘が、モネの睡蓮のまえで写真を
とっていました。
この3人は、その前に並んでいた絵は、素通りしてきました。
やはり、欧米人は、小さい時からいいものを見ているので、目が肥えているのでしょう。
ここの、睡蓮は傑作です。
よくぞ、日本にあって、いつでも見れるようにしてくれているとは。
ありがたいですね。
この絵は、見ているうちに、違う小宇宙に連れ込まれます。
わたくしは、東京に行くたびに、毎回みます。
何度見ても素晴らしいですね。
言葉は必要ない。ということがわかります。