2018年ももう少しで終わりますね。
今年もよく絵を描き続けてきた思います。
いくら描いても行着かない、美の神様は果たしてここに福音を授けてくれるのかホント
神のみぞ知るということでしょう。
今年の最後の仕事は、ニシンのある静物を二点、一点目は窓を描いて、外の海と港を描こうと
意気込んだものでした。しかし、手前の静物との関係性をつなぐ、窓枠が最後までどうしていいかわからずに
苦労しました。
テーブルの上の赤いポットと、港にある赤い灯台をコンポジションの関係からいれたら、面白いんでないかい。
(ないかい)は北海道弁。
ニシンの方向性はどうでしょう。
赤いポットと、テーブルの緑の布の関係性はどうでしょう。
テーブルは、セザンヌの机、引き出しがついているやつです。引き出しの中の空間が想起され結構奥が深いんです。
最近、影の部分にモーブを使っています。これに、マゼンダをちょっと混ぜるとちょっと生っぽくなるのがいいのですが、
いわゆる、女色と呼ばれる、情念とか、そういうたぐいの連想され、造形的には厳しさがなくなります。
こういう意味では、この手の色を巧みに使う、ボナールは、天才的なバルール感覚の持ち主なのでしょう。
もう一枚の方は打って変わって、一つ一つを大きめに描いた、ザ静物です。
形とコンポジションで勝負のえです。リアリテイと造形的要素からくるデフロマシオンが主眼です。
黄色の空間と白、コーラルレッドを接着剤にして、赤いポットと緑の布の補色関係をまとめようというのが
この絵の特徴です。
単純で面白いですが、これもまたできそうでできない。そんな感じです。
みなさんは、今年はどんな1年でしたか。
表現ということは終わりがないし、興味を持って進む限り、また新しい発見もあるものです。
カンバスに向かっていると、幸せだなとしみじみ思うことがあります。
この趣味がなかったら、今頃何をしているのか、きっと、何も気づかず、目隠しをされたように流されていたでしょう。
生きることと描くことを同等にしたときにきっと美の小鳥はそっと肩に止まり、ささやくことでしょう。
なぜ、生まれたきたのかということを、
人間は美を求めて進化してきたのでしょう。それは、数学的な合理的な解釈を自然に与え、また自然からの答えを探すということでしょう。
アルタミラの洞窟に絵を描いたのは、ただ獲物を捕るためのおまじないだけではないはず、見て、精神が落ち着くとか、いい気分になったことでしょう。
2019年も新たな発見があるといいですね。