すこしほおっておいた、F100に手を入れました。
人物は、仕事を進めとぃくと段々細くなっていく傾向があるので、意識的に太らせていきます。人によっては、だんだん太っていくという人もいて、人それぞれのようですね。
ピカソにも太らせたやつがありましたね。
人物は、きちんと座らせることがなかなかに難しいですね。少し前かがみになるのが普通で、後ろにもたれかかるように描くのは難しいですね。
膝の下を少し短めに描くのがいいようですね。
パスキンなんかは、椅子に座らせる場合は、わざと足を小さく描くことがありますね。立ってるときは、足を少し大きめに描いて安定させる場合もありますね。
男性、女性、子どもの顔の配置は、三角ですが少しずらして、不等辺三角形にします。顔の方向も上、下、横と視線をずらしています。
左の駅員は、待つ人がテーマになるので最近はいつも登場します。
季節感をいれたいので、黒いコートにします。
右に出てきた人は、なにか、うつむいた感じの老人になる予定です。
時間の変化や子供との対比などいろいろ考えられますが、あまり、物語的になると、そっち方向の興味で絵を鑑賞することになり、かえって不都合が生じます。
しかし、人間家族と言えども、おのおの違う方向を向いて生きていかなければならないし、そういう意味では、逆に孤独感を感じることもありますね。
アメリカのテレビドラマをみてると、家族、忠誠心、を強調する描写が多いのは、やはり、現代社会において、忠誠心、家族の崩壊が進みつつあるのかもしれません。約束を守れない人が増えたのかもしれません。
とにかく、人物を描くということは、そういうもろもろの社会の問題点を表すことになりますね。
100号くらいになると、真ん中あたりを一生懸命描いて、周りのほうはあまり書き込まない方がいいみたいですね。
まんべんなく頑張ると、視線が分散されて、落ち着かないこともあります。
セザンヌの大水浴図のフイアデルフイアにあるやつは、端の人物はほとんど描きかけのような印象がありますね。三角形の安定した構図に、セザンヌの仕事の総決算、いつかは、アメリカで見ないといけない作品です。
ものすごい、太い木炭をもらいました、箱に一本だけ入っていたんですが、これが太くて使いやすかったです。いままで、こんなのは使ったことがなかった。画材についても、いつもの手順通りでなく、色々なものに興味を持たないといけませんね。
絵葉書は、水浴図の最初のころのやつですね、素朴な感じがします。これから、仕事を休まずに続けていったセザンヌの初めての日記みたいな絵です。
迷いながらも、仕事を進めていったセザンヌの心意気を感じますね。