夏の朝はなにかドキドキします。
何かが起こりそうな予感、なにか楽しいことを思い浮かべます。
やはり、子供のころの夏休みの楽しさが、記憶の底に残っているのでしょう。
油絵は、夏は乾きが早く、窓を開けななってかけるのでオイルのにおいも気になりません。
しかし、このオリンピック問題が憂鬱にさせます。
日本で生まれる、超強力な変異株が世界をまた恐怖に陥れ、回復を遅らせるのではないかという不安です。
まだ間に合います、中止にしてください。
絵は、その当時の社会的な状況を反映するようになったのは、表現主義以降でしょう。
このいま現代に生きている限り、避けられない感情や思いがあるからです。
しかし、そのまま描いてしまうと、プロレタリアアートになってしまい、
芸術としての輝きは失われてしまうのでしょう。
独裁主義や共産圏での絵画の抱える問題もそこであります。
日本においては、世界大戦中の戦時高揚のために描かれたいわゆる戦争画に手を染めた
芸術家の罪の問題もあります。
しかしながら、そこを昇華させ、人間そのものの内面に迫る芸術が必要なのでしょう。
そうなると、単純化された形と色で構成される、抽象画が時代に合っているとも言えます。
しかしながら、抽象画は実に難解だという人も多くいます。
一つ目は
人間の眼から入った情報は、脳が必ず何かの解釈を要求するので
、わからない、解釈できないという結論を出すのは難しいのです。
結局自分の分析能力のなさを恥じて、落ち込むということもあるでしょう。
二つ目は
「これらなら、誰でもかけるじゃん。」という、印象です。
でたらめに絵具をまき散らした画面に見えたり、
カビやシミに見えたり、デッサン力の必要のない偶然性に頼っている。
木の根っこやがらくたに見えたりします。
そうなると、具象の方がわかりやすいかといえば、そうでもありません。
写真のようなソックリさんの絵、
装飾的で派手な絵、フラッシイな色、
挑戦的だったり、いわゆるエログロだったり、
実に難しいです。
やはり、自分の感性に合った絵が一番心地いいのでしょう。
無理して、他人の評価の高い絵をありがたがる必要はありません。
ピカソは優れた画家だと思いますが、なんじゃこりゃと思う人がいてもいいんです。
値段によって駆け引きしたり、真贋や目利きを試される骨董趣味とは違います。
自分の好きな絵を発見し、それを見ることで美しさとは何か、ということを考え始める時
また、すべてのものが変わって見えてくるでしょう。
だんだん、絵具が厚くなって重たくなってきました。
悪い傾向です。
女の子の服の赤が強すぎます。
右からくる老人のデッサンがなんか変です。