ピカソとカタルシス 油絵制作Bの⑭ 

 北海道もすっかり春めいてきました。今日は本当にあったかい日だった。暖かいの北海道弁でした。

さて、もう少しで完成です。しかし、ここにきて、絵具が厚くなったので、筆が滑るようになってきました。コレ以上は厚くしてはいけません。

ド真正面を向いていたので、僅かずつ顔を傾けました。顔は、おおむね卵型ですが。左右対称にはしませんよ。

左右対称にすると途端に動きが止まり、魅力が無くなるのです

このわずかな、ゆがみ、わずかな破綻が、完璧に見ようとする、人間の意識に働きかけて、「こう見たい」という、脳に刺激を与えるので、絵に引き込まれるのです。

これを極端に、意識的に取り入れたのがピカソです。

泣く女は、その強烈な色彩と、色々な方向から見た実態が、一つの顔に統合されてあの圧倒的な迫力を生んだのです。

ピカソは存命中にビックネームとなりましたが、若いときは、極貧で彼女とズボンが一つしかなく、片一方が出かけるときには、片方は家にいるというような逸話が面白いですね。

ピカソは○○の時代○○の時代というのがありますね。

自己模倣を繰り返すことなく、新しく興味の持ったものに突き進んでいく。過去は過去のものとして置いていく。成功体験を大事にせず、絶えず緊張感のある仕事をしようとするエネルギーはすごいですね。

よくも、わるくもスペイン人の、あの興奮性、熱狂性を内に持っているのですね。

闘牛は、それを端的に表していて、マタドールが演出する、生と死のショウに人々は我を忘れ熱狂する。

静かに戦いは始まり、猛牛をあしらったり、時に対峙し、緊張感を高め、荒々しい命で激しく戦い熱狂とカタルシス、最後にはとどめ、死が会場を支配し、また、静寂が訪れる。

熱い涙、冷たい涙などをながすことで、心が浄化されるということですか。

 

カタルシスの語源は排泄、ここから浄化ということになり、感情を大きく揺り動かすことにより、日常生活のあまりの日常性に鬱屈した精神を浄化することができる。

そういえば、カタルーニャ地方とういのもあったな。肩ロースはというのもあるな。

カタルーニャ地方の独立運動はどうなったのでしょうね。バルセロナがあるから、税金の還元率が違い過ぎるんでしょうね。

自分たちが稼いだものが、他の州で使われることに違和感が大きいのでしょう。

さて、Bのほうは、正面向きに3人入れてみましたが、どうしても、変な感じがするのでまた一人消して、2人にしました。

空に手をいれました。青すぎるので乳色を入れて整えます。

左に黒で向こうに行く人を描いてみました。右にいた人は消しました。

左のビルと塀をどうにかしようと思っています。

右の女性の後ろの空間は、パーマネントグリーンライトを入れてみました。この、グリーンが何故か大好きなんです。

こうしてみると、実にムンク的な絵ですな。

 

 

 

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