ゴーギャンの夢 駅員のいる群像⑬

 

 

さて、12回目になりました。

北海道では、いま、雪解けの真っ最中です。一日一日雪の山が小さくなってきました。

北海道では夏場の水不足ということは、ありえません。理由は、この雪解け水です。

この、貯めめられた水は、膨大なもので水が枯れることはないのです。

しかし、冬の間最中は、南の島に憧れますね。

 

南の島といえば、ゴーギャンです。

 

2009年ゴーギャン展は、東京国立近代美術館で開かれました。

 

ここに、「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこに行くのか」が来たのです。

この絵を見れるチャンスはなったにない。それを知ったら、いてもたってもいられずに、飛行機に飛び乗り

東京に出かけました。

いやー、よかったです。この絵を見れるなんて。

 

フランダースの犬のネロが、ルーベンスの絵を見て感動し昇天するシーンが思い浮かばれますね。

昇天はしませんでした。

 

この作品は、デカい。139.1×374.6cmあります。30分もかけてじっくり見ましたよ。

死が近いことを悟った画家が、最後に描く絵。この作品は絶筆ですが。計画的な絶筆といっていいでしょう。

 

集大成としての絵は、セザンヌは「大水浴図」これも、興味深いですね。やはり、大作になるようですね。

 

スーラは「グランドジャット島の日曜日の午後」題も長いが、確か2m×3mはあったはず。

 

ゴーギャンの逸話でよく出てくるのは、ゴッホの耳そぎ事件と、その時のゴッホの包帯をまいた自画像です。

 

1度目のタヒチ滞在で掻いた絵が、パリでは受け入れられず。1895年二度と戻らぬ覚悟で、タヒチに旅立った

ゴーギャンの心境はどうだったのか。

 

病状も思わしくなく、お金もなく、最愛の娘が19歳で他界、なぜ、どうして、一体神はいるのか。

哲学的な思考からこのテーマを思いついたのでしょう。

 

以下は130Bの方で続き

 

 

さて、F130の油絵の方はAで12回目、あと8回の予定

 

人物の配置は決ってきました。顔の大きさを少し削りました。顔を削ると、それに合わせて体も縮みます。

それを、繰り返すと段々小さくなってしまうのです。

 

 

 

座っている女性の手の変更、少し上向きに。

 

男性の顔の唇を厚く、原始的になるように変更。ゴーギャンのタヒチの人々のように

 

地面の面をわかりやすくするために、円形のフォルムを追加

 

左の駅員の顔の表情を消しました。

 

向こうへ行く女性のふくらはぎを強調、歩いていくように少し筋肉を付けました。

 

左側の老婆の表情を消して、抽象化しました。

 

 

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