モーリス・ド・ヴラマンクと佐伯祐三 駅員のいる群像⑮

その日の気分によっていろいろ考えることが違います。

後ろの空間の緑が顔の中まで響いてくるというのが、この絵の考え方です。顔は肌色と決めてしまうと、表現主義的な絵にはなりませんね。表現主義といって調子に乗っていると、どんどん彩度が上がってきて、フラッシー(派手派手)になっちゃうのです。

モーリス・ド・ヴラマンクは、1876年、パリ生まれ、アンドレ・ドランと1900年から、共同アトリエで制作を始める。

経歴が面白く、バイオリン教師と自転車競技で生計を立てるという異色な才人。結構、武闘派のようですね。

初期、1907年までは、ゴッホに強い影響を受け、ドラン∔ゴッホ÷2のような画風に思えます。

マチスの紹介で、アンデパンダン展に出品。フォーブの本流を行っていたが、みんなが、派手な色彩や強い太陽に憧れて南仏に出かける中、パリにとどまりました。

セーヌ川沿岸の絵が多いですが、人物画もスーチンのように、荒い筆使いで迫力があります。1908年からは次第に色彩が抑えられ、セザンヌ風な画風。

1920年以降は、私の好きな冬景色、絵具を盛ってから素早く動かし、勢いのある画面を作りました。冬景色に人が1人とか、感傷的な作風に発展しました。この、ともすると陰鬱な絵になりそうですが、スパーっとした思い切りの良さが、カタルシスになり、見る人の心を動かすのです。

冬の津軽海峡のような、寒く、空はどんより曇っているのに、絵具を塗るスピードが速いので、そこに、濁った感情は生まれず、かすかな爽やかさがあるのです。

稀有な絵ですね。

佐伯祐三とのエピソードは有名ですね。東京美術学校を卒業し、うきうきパリにやってきた佐伯は、里見勝蔵と、明るい色彩の裸婦などの絵を持って、ヴラマンクのアトリエを訪問します。

絵を見て批評してくれるかと思ったら、その絵を見た途端、

ヴラマンクは怒髪天になり、そこに、佐伯を立たせたまま、このアカデミックな絵めと何時間も説教されたという逸話ですが、本当ですかね。

しかし、その時、勝蔵は何をしていたのかな。(笑) 黙って、心もとなく横に立って、一緒に説教を聞いていたのかな。

めげずに、そのあとも、ヴラマンクのアトリエを訪問している。

この出会いが「立てる自画像」いわゆる、顔のない自画像を生んだのでしょう。実物を一度見たことがあります。

佐伯は、そのあと、ユトリロに影響を受け、そして、東洋人としての自分を見直し、画風を確立することが出来ました。

佐伯の早すぎる死が残念ですね。

やる気満々での2回目のパリ、しかし、持病の結核が悪化、精神的に不安定になる。自殺未遂をして、精神病院に入院、そして、衰弱死。享年30歳。

 

ユトリロは日本で評価が高いですね。

日本人は、白が好き。

 

 

 

さて、十五回目です。今日は顔を中心にいじりました。

女性の足の方向を変えました。

駅員の顔を少しこっちに曲げました。

向こうに行く女性の、肩幅を狭めました。

 

 

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