シャガールの人物と街 絵と芸術 郷愁と愛

日本人に人気がありますね。故郷への郷愁とその詩情はちょっとヨーロッパ人にしてはウエットでそこが、日本人好みなのでしょう。

赤い壺の花

シュルレアリズムの作家に入れられることが多いですが、ちょっと違うような気がしますね。郷愁と愛と生命を頭の中で混合して、出力したらこうなりました。という感じではないでしょうか。

キリコやエレンストとは、考え方が違うのではないでしょうか。

ダダイズム(戦争による不安感から、既成の常識に反抗した、無意味な虚無的な芸術思想、便器を芸術品として展示したりした、1916~1924ごろ)

それに飽き足らない作家がシュルレアリズムの方に移行して、言葉や思想による芸術運動は終了、視覚的芸術性を取り戻した。と思います。

絵画なのに、説明が長い、難解なものが多くありますね。絵なのに文章で説明しなければならないなんて、どういうことだろう。と思うことがしばしばです。

インタスタレーションは作品が基本的に残らないので、積み重ねていく構築性がなく、その時のアイデア勝負みたいなところがありますね。

あまり感動したことはありません。作品が残らないので、パンフレットはお金をかけて作成しないといけません。カタログ用の写真もいいものをプロに頼むことになり、アーティストが自分の芸術に対して外注するということになりますね。

凡庸な抽象画は、だいたい1分ほどで、飽きてします。

いい抽象画は題名すらいりませんせんね。形と色で作られた空間の緊迫感があるものはあきませんね。

また、そっくりに描くことに情熱を燃やしている人が、いつの時代もいますね。

15世紀、500年前のバニタス画は見るべきものがありますね。思想があるし、それに、そっくりでうまい、500年前に完成されていますね。

写真技術の進化し簡便になった現在は、まさに、シュールレアリズムに分類されるのはないでしょうか。

シュルレアリズムの作家では、エレンストの、その原始的というか、人類創世記の混とんさが出てて好きです。

ゆり

それで、シャガールに戻りますが。こんなことを言っています。

芸術はルネサンスの時代から、宗教的な感情を描き出してきた。各時代の感情を描き出してきた。いわゆる科学的芸術や、楽しみを求めるたぐいの芸術には生命的な価値がない。それらは次第に消滅していくだろうと。

1940の春、シャガールは運よくニューヨーク近代美術館の招待を受け、ドイツから脱出でき、強制収容所行を免れました。

さて、心象的なものをカンバスに思いの通りに配置すると、はりえのようになり、空気空間は破壊されます。

平板な表現は現代的とも言え、漫画のように世界に普及していきました。もちろん、漫画の前には、江戸時代の浮世絵がジャポニズムとして世界を席巻し、ゴッホまで魅了しました。

マチスは平板化を進めとうとう貼り絵まで進みましたね。

 

 

 

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