さて、12回目になりました。
北海道では、いま、雪解けの真っ最中です。一日一日雪の山が小さくなってきました。
北海道では夏場の水不足ということは、ありえません。理由は、この雪解け水です。
この、貯めめられた水は、膨大なもので水が枯れることはないのです。
しかし、冬の間最中は、南の島に憧れますね。
南の島といえば、ゴーギャンです。
2009年ゴーギャン展は、東京国立近代美術館で開かれました。
ここに、「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこに行くのか」が来たのです。
この絵を見れるチャンスはなったにない。それを知ったら、いてもたってもいられずに、飛行機に飛び乗り
東京に出かけました。
いやー、よかったです。この絵を見れるなんて。
フランダースの犬のネロが、ルーベンスの絵を見て感動し昇天するシーンが思い浮かばれますね。
昇天はしませんでした。
この作品は、デカい。139.1×374.6cmあります。30分もかけてじっくり見ましたよ。
死が近いことを悟った画家が、最後に描く絵。この作品は絶筆ですが。計画的な絶筆といっていいでしょう。
集大成としての絵は、セザンヌは「大水浴図」これも、興味深いですね。やはり、大作になるようですね。
スーラは「グランドジャット島の日曜日の午後」題も長いが、確か2m×3mはあったはず。
ゴーギャンの逸話でよく出てくるのは、ゴッホの耳そぎ事件と、その時のゴッホの包帯をまいた自画像です。
1度目のタヒチ滞在で掻いた絵が、パリでは受け入れられず。1895年二度と戻らぬ覚悟で、タヒチに旅立った
ゴーギャンの心境はどうだったのか。
病状も思わしくなく、お金もなく、最愛の娘が19歳で他界、なぜ、どうして、一体神はいるのか。
哲学的な思考からこのテーマを思いついたのでしょう。
以下は130Bの方で続き
さて、F130の油絵の方はAで12回目、あと8回の予定
人物の配置は決ってきました。顔の大きさを少し削りました。顔を削ると、それに合わせて体も縮みます。
それを、繰り返すと段々小さくなってしまうのです。
座っている女性の手の変更、少し上向きに。
男性の顔の唇を厚く、原始的になるように変更。ゴーギャンのタヒチの人々のように
地面の面をわかりやすくするために、円形のフォルムを追加
左の駅員の顔の表情を消しました。
向こうへ行く女性のふくらはぎを強調、歩いていくように少し筋肉を付けました。
左側の老婆の表情を消して、抽象化しました。