芸術は物の本質をとらえて表現しなければならないと思われています。
しかしながら、物の本質とは何かと、尋ねられてすぐに答えることは難しいでしょう。
ヒントは、セザンヌにあるのではないでしょうか。
彼は、風景画を描く中で、混とんとして規則性のない自然を、幾何学、円錐や球ととらえて解釈しました。
混とんの中から人間の理性というフィルターを通して、再構築するところに芸術が生まれるようです。
それゆえにセザンヌの風景画には、人間のかかわったモチーフが出てきます、石切り場だったり、家や橋などです。
それを風景画の中に存在させることで、強固な構図と永遠性を持たせることに成功したのです。
ただの山だけを写生しては物足りません。
道、小屋、畑、柵、防波堤など、なんでも人間のかかわった幾何学のシェイプを入れて意識していくことで完成するのです。
ただ自然にある山だけを写真のように描くのではなく、理性のフィルターをかけて、いったん取り込んで出力するという意識が大事なことです。
この、人間の理性のフィルターを通すことを意識することで心が動きます。
真円の月は心が動きませんが、わずかにゆがめて描くことで、
人間の脳は頭の中で真円に見ようとする動きが生じます。
ここがポイントです。
よく、話芸でも、間がいいとか言いますが。
正確に受け答えをするのではなく、わざとずらすことで魅力的になるようです。
さて、大作の方は本当に混とんとしてきました。
しかし、いつも似たような絵になるのは何故でしょう。
人物を群像を描くのは非常に難しいです。
デッサン以外にもいろいろあります。
顔の向き、立ち位置、目の動き、手足など
そして、人間の問題は突き詰めると生きるということに行きつくのでしょう。
「どうして、みんな恋しているのでしょう(^^♪」という歌詞がありました。
生きていて、何かに、誰かに恋している。
生きるエネルギーをもらっているということでしょう。