スーチンの風景画と表現主義 油絵制作Bの② 遠近法の考え方

 遠近法をどう考えるか

少しは必要だが、絶対ではないというのが今の考え方ではないでしょうか。

線遠近法と空気遠近法があるとされていますね。でも、線遠近法は、絵画の場合あまりにも綿密にやると、建築の設計図のようになってしまうので、動きが止まり感動がなくなってしまいますね。

空気遠近法と呼ばれれるものは、遠くのものはかすんで見えるとか、小さくみえるといった、ことを元にしているようです。これは、一生懸命描いていると、そうなることがありますが、これも多用することでリアリテイを失うようです。

 

表現主義では自分のいいといったものを、そのまま表現していいので、描きたいものが大きくなったり、筆の勢いで曲がったるすることで、逆に画面に生命感が生まれていく、そんなことが頻繁に起こりますね。

私の好きなスーチンの風景画がそうですね。

スーチンはこのゆがんだ風景画で支援者を得て、生活が安定し、たくさん描くようにになりますね。

一連のセレの風景は、木から道路から建物までひん曲がり、厚塗りでスーチンの熱中度合いがわかります。

その画面の生き生きとしていることといったら、まさしく油絵という感じがします。日本で言えば中川一正の力強さが魅力ですね。

 

さて、F130Bの2回目です。

画面右に電柱のようなものを入れてみたら、なにか、道路のようなものが出現し、

真ん中で立っていた男が、勝手に歩き始めました。

勝手に、歩き出しましたが、また、立ち止まるかもしれません。

画面の一部を変更することによって、人物が動き出すのがおもしろいですね。

遠近法によれば、消失点が気になる所ですが、そこはあいまいにしておきます。

奥には街を描こうと思っています。

雪の中で、そこは暖色の空があり、雪の中のオアシス、みたいな感じですが。

白と黒にして、色のない街で、煙突からは黒い煙が立ち上るというのも、雰囲気がありますね。

描きすすめていくうちに、自然にどっちかになるでしょう。

遠近法の話になりましたが、人間の目は、画面の真ん中に焦点が合うようにできているので、画面の中心に円形上に焦点が合って、はっきりくっきり

その周りはボケているはず

だから、隅々までしっかり描くと、真空状態の絵になっちゃいますよ。

空気感を空間に維持したい。どうするか?

セザンヌの後半の絵は、周りはほとんど描きかけではないですか、という作品がたくさんありますね。

フイアデルフイアの大水浴図の、はじの方はほとんどデッサンのみですね。

全体としてみると、それは、正しいことがわかります。

 

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