もういじらないと決めていたのに、結局何か足りないような気がして、
結局群像は、中心人物を目立させるという気持ちと、複数の人物の形による
構成ということが行ったり来たりするということでしょう。
向こう側に行く女性が出現、椅子のはじには子どもまで現れました。実に不思議ですね。
右からくる老婆はなぜかいつも出てきますね。
訳は、体の傾きで三角形を作ろうともっているからです。
右の懐中電灯を持っている、駅員の腕も三角形の構図に役だっています。
真ん中の男の手の角度と全く同じなのが少し気になりますね。こういうアーテイカルな部分も大事ですね。
心象的な絵は、過剰な感情が出ないように気を付けるといいます。過剰になると、どんどんリアリテイを失い
バケモノが出現して、もう戻れなくなってしまうのです。
インパクトはありますが、長く人々を引き付けるのは難しいでしょう。
そうなると、やはり、どの作家も「生命のフリーズ」を意識しないと先に進めないでしょう。
現実世界はどうでしょう。
ウソつき、恥知らずがあまりに多くはないですか。それも、一番、高潔さを求めなければならない人々が。
この、混沌とした現代でやる気を維持するのは大変でしょう。
そこで、異常さや醜さ強調して、インパクトをとるのではなく、
人間の奥深くに眠ってしまっている、原始時代からある生命の強さに期待するしかありません。
混沌としたもの、蠢く群衆の中から、
捨てられたもの、廃棄されたものの中から、
アスファルトを破るように、芽生えてきている命を発見できるそんな絵を目指していくのが本道でしょう。
人間のすること、考えることは、あまり変わっていないようです。
ピラミッドの内部の壁に、
「今の若い者はなっとらん」
と書かれていたそうですね。紀元前3000年
ギリシャのソクラテス、(紀元前469~399)
懐かしのソクラテスの弁明(ソクラテス自身の著作はない)では、結果的には死刑を受け入れ、ドクニンジンを飲んで亡くなりますが。
「ただ生きるのではなく、善く生きる」と
しかし、プラトンの創作部分もあるので、本当の人物像は諸説あるらしいですね。
その中でも、悪妻伝説は、全く現代でもあるではないですか。
クサンティッペさん、悪妻の代名詞、起こって水をかけたりするらしいですね。
「蝉は幸せだ、なぜなら物言わぬ妻がいるからね」BYソクラテス。
ローマのカエサル(シーザー)が活躍した時代は、ちょうど紀元元年、キリストが生まれたのもこのころ。
恋人の息子の裏切りに遭い
「ブルータス、お前もか」BYカエサル
イエスは、ユダヤ教徒でしたが、貼り付けのあとの復活、そして、その行動を記した旧約聖書から、新約聖書へと
その、言動がまとめられ、福音書が出来ました。
要するに「愛」という言葉が、台頭してきた時代です。
「汝の隣人を愛しなさい」BYイエス
それから、2018年経ちました。
今の日本、どうでしょう?