色々盛り込もうと思ったものがだんだん消えて、最終的に4人の人物になりました。
ストーブ、煙突は消えました。室内でなく外になりました。
立ち上がった男は、歩き始めました。
昔、歩く男をよく書いていたので、なにか動き出すのが好きなようです。
人数は群像の中では重要な要素となりますが、構成上必要なものを並べていくと、整いすぎて人間味が
出ないこともあります。
顔の表情は、あまり出さないように、ちょうどいいところを選びます。「喜怒哀楽の表情」が出過ぎると、
感情が先行し、絵画空間を楽しめなくなります。
感情が先行する、こういう、劇場型の絵になると、はじめはインパクトがあって目を引きますが、すぐに飽きてしまいます。
構成や、構図を教会のような建築物に積みあげていく、洋画の伝統を引き継いでいかねばなりません。
また、芸術空間には、日本にも優れた伝統があって、浮世絵の平面化と、デフロマシオンがあり、日本料理には陰と陽
盛り付けの約束、華道にも型なるものが存在します。
陽は〇、男、奇数、日、海魚
陰は□、女、偶数、月、川魚
このように、対位するものは、大きなエネルギーを持っています。
絵画で言えば、補色の関係です。
恥ずかしながら、この絵もそれを強調して色を決めています。
赤紫に黄緑とか黄色と青紫、赤と緑、あまり強すぎるとギラギラするので、筆のタッチで押さえながら描いていきます。
非常に魅力的ですが、まとまりがなくなってしまう欠点があります。
日本人は渋好みですから。(笑)
彩度は一度上がり始めると、際限なく上がっていきます。相乗効果でどんどん上がり最後には破綻します。
塗り絵のように、空気空間が消え去り、目はチカチカするし大変です。
ダメなときは、一生懸命、真面目にやっていくと最後は二つの方向が見えてきます。
①厚くなりすぎ、色が鈍り、泥のようにもったりして、筆が滑り出す。鈍すぎで、生命感を感じられない絵になります。
美しくないです。モノクロームになるのです。
②彩度が上がりすぎ、目がちかちか、描かれている内容も薄っぺらに見えてきます。あか、あお、きいろの3原色に分解され
塗り絵のような、空虚感を持つ絵になります。いわゆる、絵空事になり、リアリテイに欠けるのです。
左に、出発信号機を持った駅員、中央はもちろん主人公、「立てる男」です。
座っている若い女性は右から来る老いた人との対比を強調して、黒と赤です。
「立てる男」の頭の上は、萬鉄五郎のような、白い雲が浮かんでいます。
大きな三角形の構図です。
なにか、もう一人入りそうですね。
どこかに、入るともっと安定するのかもしれませんが、欲張らないでこうしました。