札幌オリンピックは必要なのか。ジャネットリンの思い出

972年札幌オリンピックが開かれました。

「虹と雪のバラード」歌はトワエモア、の男女デュオ、清潔感のある、ハーモニーでヒットしましたね。

その時の、女子フィギュアスケート選手、ショートカットのかわいい子、ジャネットリン18歳、アメリカイリノイ州出身。銀板の妖精、銅メダル。

現在64歳

選手村の部屋にラブ&ピースと落書き、今も残っているらしい。選手村の建物は分譲マンションになったのだ。

屋外スケート場に、屋内スケート場(アイスアリーナ)はながいこと、リンクではなくイベント会場として使われたが、老朽化が進んでいる。

ジャンプでは、70m級で、笠井選手をはじめ、金銀銅のメダルを独占したんです。ジャンプ台は現役で、大会が開かれます。

そこで、もう一度やろうとしているのですが。本当に必要でしょうかね。

ニセコオリンピックがいいと思います。アルペン競技は全部ニセコ、ここは、雪質がいいし、北海道最大のスキー場です。

札幌市のスキー場はテイネが一番大きいですが、何せスケールが小さい。

実際、1972年ときは、足りないので恵庭岳をいきなり切り開きコースを作ったほど。いまは、植林されてもどった。

スケートは帯広でやるといいと思います。スケートに会った気候です。ボススレーのコースなどは、札幌ではあったかすぎて溶けてしまいます。

それになりより、スケートが盛んです。

札幌市でやるメリットはあまりありません。あのとき、急いで急いで作った地下鉄が失敗作で、相互乗り入れができない不便なゴムタイヤ製、ホントに、

オリンピックありきで馬車馬のように進んだ結果です。

当然市の予算は枯渇、その当時団塊世代の子供が学校に入る時期と重なり、学校の新築ラッシュ、仕方なく、体育館を3階に作るというおかしな作りで、

用地代と体育館の建築費を節約。いまだに、それを使っている状態です。

たった、2週間のオリンピックのために。

しかし、全面否定するわけではありません。

あの当時、全く目覚めていなかった、北海道の田舎の都市を目覚めさせたのは大きい功績です。

ぼんやりしていた目に、光を見せてくれたのです。

まだまだ、経済成長が進んでいくとき、これから、どんどん夢や希望が生まれてくる時期とリンクしていたのです。

あこがれと希望を見せてくれたのです。

今や190万の人口を擁する、日本で5番目の大都市、雪の量は多いです。こんな、降雪量のところにこれだけ多くの人が暮らしているのは

札幌だけでしょう。

札幌市開催は、打ち上げの飲み会のみ

時計台の下で会って、私の恋は始まりました。

ススキノは大きい。キャパは十分です。

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