この歌は宗教色が強いと思われますが、メロディーが半端なく美しいのでこれは、まさしく芸術の域まで他しいています。本田美奈子が歌っているユーチューブがよくて、疲れた時は身て癒されています。2004年のものです。10年以上たっても色あせない力があります。わずか38歳でこの世を去るとは、実に残念です。しかし、彼女の歌と踊りには、人を沈黙させる力があります。
美しいものは、沈黙をつれてきます。逆にいえば、静けさを伴わない芸術は無いといえるのではないでしょうか。ゴッホの絵は、激しくガラスの上に立っているような、緊張感で切れそうです。空気が張り詰めて苦しいほどです。特に星月夜はそうです。しかし、ロダン美術館の廊下に飾られているタンギー爺さんは、そこまでの緊迫感はありませんが。発見した時は、思わず足が動かなくなりました。その絵の空間が、別の部屋のように静けさを保っていたからです。
オルセー美術館のルソーの部屋も、その、緊迫感がありました。描いているものの主張ではなく、単純に「美しさで沈黙させる」という感じでした。
奇妙奇天烈な思い付きで人を驚かせるタイプの芸術や、ポロックやアクションペインティングの焼き直しや、垂らし込みにじみなどの手法の絵は、感動とか静けさはやってこず、「どうやって描いたんだろう」「何をかいたんだろう」ということに思考が傾き、美しさを感じるまでに一段階があります。
普段、目にするもの、ありふれたものの中に美を発見することは、意味のあることでしょう。
かといって、写真のように「そっくりさん」に書くことに情熱を燃やす場合もありますね。「そっくりさん」に描きたいというのは、本来人間の持っている欲求なのかもしれませんね。
最近は、「系譜」ということを考えるようになりました。今は、人間の美術史の中でどこにいるのかということです。芸術は爆発だ、今までのアカデミックなことを打ち破ってきたのだ。と主張する人もいますが、それも含めて、連続性は存在するようです。
最近で言えば、ピカソやマチス、その前の、ゴッホやモネ、セザンヌからきちんと学習をしていくことが大事だということです。先人たちに敬意を払い、系譜を考えることが大事のなのではないでしょうか。
シャルダンは、1700年代ロココ時代の画家、風俗画を見てください。実に勉強になりますね。自画像もいいですね。夢中になっちゃうほど優れている。300年前のことです。
お正月から、描いててきた絵は、筆をおく時が来ました。
「あまたの人々」です。