オリンピックでは、ここまで来るのにどんな苦労をしたのかとかが、話題になりますね。
いわゆる、美談ですね。
ゴッホは、生きてる間は非常に過酷でしたが、絵にかける情熱は最後まで持ち続け
表現ということに喜びを見出していました。
激情と勤勉さを合わせ持ち、短い生涯の間にモーレツな勢いで制作し、多作ともいえるでしょう。
ちょっとこれはどうかな、という習作や、模写もありますが、幼いデッサンのように見えるところから
あの、張り詰めたような緊張感のある画面に持っていくには、やはり、精神を病むような鋭さが必要で
その、鋭さは、同時に自分も傷つけることになったのでしょう。
これは、美談なんかじゃなく、人生そのものです。
その、緊張感に空間はパキパキと音を立てるようで、見ていると苦しくなってくることもありますね。
もちろん、図録でなく本物を見てですが。
昨年の夏に北海道近代美術館であったゴッホ展は、
やはり、本物はすごい
ということでした。一筆一筆が腑に落ちる、スカッとする感じ、世界中の人に幸せを与えているすごいことですね。
日本がバブル景気で浮かれていた時に、ゴッホの絵を手に入れた御仁が、その、作品をまさに、自分の所有物のように
扱って、ひんしゅくを買ったことがありましたね。
ゴッホは、みんなのものです。隠さないで見せましょうというか、さっさと、美術館に寄贈し、日本国民を幸せに
してほしいものです。
さて、F130のBの方ですが、まさに、ムンクに似すぎて困ったところで止まっていましたが、あまり、入れ込み過ぎないで
薄くクールに、造形的な部分を強調してしくことにします。
なにか、わけありそうな顔はやめて、目、鼻、口の単純なものにします。強調しようとすると、だんだん大きくなってくるので
注意が必要です。
水平線の位置を、真ん中まで上げました。遠近法的空間は、消失点をハッキリ描かないと、天国の階段のようにだんだん上にあがっていく
傾向があります。
よく、野外で下り坂を描いているのに、どんどん上り坂になっていくことがありますね。道の、だんだん狭くなっていく線を強調する
とその傾向が強まりますね。
道の両脇のものをよく観察することと、いわゆる空気遠近法と(近くのものははっきり描いて、遠くのものはぼやかして描く)ミックス
して描くことで解消されます。
電信柱をどうするかが問題ですね。遠近法的に描くと、あと、2~3本小さいのが必要ですね。
左側の壁と建物は、薄塗で済ませるつもりです。あまり存在感を出すと、真ん中の人物に焦点が当たらないことになります。
真ん中の人物は、足首の処で切り、地面の線が手前に出過ぎるのを抑制します。