日増しに太陽の力が増してきたようです。
2度目のタヒチについた、ゴーギャンは二度とパリには帰らない覚悟を決めていました。自分の芸術が認められなかった、悔しさもあったでしょう。
梅毒、心臓病など体の調子も悪く暗澹たる気持ちだったでしょう。
足のケガもひどく、歩くのもままならない。
1895年~1903年5月8日まで、の彼の軌跡と生きざまは、
宗教的な雰囲気をたたえ、静寂が支配していますね。
ゴーギャンは、1901年にタヒチ本島からも離れ、北東に千数百メートルの小島に移り住んでからやや気力を取り戻したものの、この大作「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」の作品が完成した後、自殺を図るが未遂に終わる。
右から、赤ん坊で人間の誕生から始まり、岩の上に一人っきりで寝せられている。楽しげではなく、これからの人生の苦難に緊張しているようです。
手前の若い娘たちの後ろで、暗がりでひそひそ話をする着衣の2人は、きっと禁欲的、道徳的な話をしているのでしょう。
そして、中央の実を摘む人、この生命力あふれる主人公は、人生の中での頂点といえるでしょう。
しかし、色彩から本当に楽園なのかとも思える。
そして、青白いが満ぞぐげな偶像、
死にゆく老婆、このポーズはおなじみですね。ペルーのミイラのポーズです。
この絵を、すっかり言語的に理解することは不可能ですが。野蛮と文明のせめぎあいと構図、水平と垂直は勉強になるところですね。
さて、Bの方は迷走を続けています。通りを歩く群像という簡単な構図とテーマのはずが、人が増えたり減ったりしながらもう大変ですね。
Aのほうは、足の先まで入れましたが、Bの方は足を切っています。こうしないと、いわゆる地面というか床の面が発生し、後ろがグーンと前に迫ってくるのです。
こうなると、後ろの空間は、一様になり、簡単に言えば、
一様に壁か、空の空間になるのです。
後ろ向きで向こうにいく黒い影を描きますが、足もとに少しの円形を描いて地面との面を合わせていきます。
こういう引っ掛かりがないと、空間が迫ってきて、垂直に切り立ち、その影がずり落ちてきてしまうのです。
顔の表情は、あいまいだけど何か読み取れるギリギリの単純な表現を目指しますが、ある程度の絵具の重さや、バルールが合わないと深みが出ないので、緑、オレンジ、ブルー、ライドレッドなどを入れておきます。
まだ、体のデッサンが幼いので、直していかないといけません。