このコロナの終息に夢を見るひとは、大勢いるでしょう。
特に、飲食店や旅行会社の人たちへの影響は甚大だったでしょう。日本ではおさまってきていますが、
ヨーロッパ、特にドイツの上昇ぶりには、ガッカリしている人もいるでしょう。
しかしながら、もの2年もの空白を予想していた人はいないでしょう。
この、かつてのスペイン風邪で亡くなった画家で有名なのは、「モジリアニ」でしょう
さて、モジリアニですが、アルコールや薬物などの問題を抱えていました。35歳で死亡、
恋人のジャンヌは2日後アパートメントから身を投げます。
実に悲しい結末と彼の単純化された造形のコントラストが心を動かします。
恋人たちの物語として語り継がれているでしょう。
家族の反対もあり、一緒に埋葬されるまで10年間を要しました。
モジリアニは、彫刻家、画家、彫刻の方は、野性的で原始的なものを好んだようです。
ある逸話では、モジリアニが練習で彫った石が近年アパルトメントの土台から発見されて、
非常に高値がついて大儲けした。という逸話です。
裕福でなかった、若き芸術家のその必死になって練習していた姿が目に浮かぶようですね。
また、彫刻家は非常に身体の強さが要求されるもの、兵役に落ちるほどの病弱だったモジリアニには、
彫刻を続ける体力はなかったようです。また、彫刻はお金がかかることもあったでしょう。
カフェで即興的に絵を描いて奢って貰うような生活をしていた彼には、彫刻を諦めざる終えなかったのでしょう。
油絵の方は、その人物の首の長さが特徴となっています。その首の長さのデフロマシオンは、彫刻の素養からきたものでしょう。
また、見ようによっては、「眼の焦点があっていない」「瞳が描かれていない」作品があります。
その瞳のなさが、当時の巴里のアンニュイさを感じられるところです。
この「アンニュイ」という言葉も、日本語に直すとどうなるのでしょう。
やるせない、倦怠、退屈などネガティブなイメージが先行しますが、人生そのものがやるせなく退屈に感じる時があります。
当時のパリには、新しい時代を模索する故に、ネガティブなイメージを溜め込んで爆発させるエネルギーを貯めていたとも言えるかも知れません。
瞳のない肖像画は見る人のイメージを高める効果もあります。
人間は、見たいものを見るといいます。
自分のイメージでその絵の解釈は変わるのでしょう。
悲しく見たい人には悲しく。
うれしく見たい人にはうれしく。
希望を見たり
絶望を見たり、本人次第です。
裸婦は彫刻家らしくフォルムの単純さを追求しています。
イタリアの伊達男はしばしば伝説化され、映画も作られました。
わずか1歳で孤児になった彼の娘は、自分の出生の秘密については明かされずに成長しましたが、
のちに、美術の研究家として活躍しました。もちろんのこと、自分の父であるモジリアニについても研究しました。
彼女の名も、ジャンヌ。
コロナとよく比較されるスペイン風邪。この流行病は、世界を巻き込んで何回繰り返して起きてきました。
その度に、そこでちょうど生きていた人々に大きく影響して来たのでしょう。色々なドラマがあった事でしょう。
また、ネガティブな影響ばかりでなく、ポジティブに働いた人もいるでしょう。
この、スマホとWi-Fiの発達は、世の中の構造を変えて行くでしょう。
時代はひと時も止まる事なく変化していきます。あらゆる事が変わっていきます。
変わらないのは、人間が生まれて死ぬ事。
いつか、人類は滅びるかも知れません。
人が居なくなった地球を想像すると、非常に静かで平和なような気がします。
人が生きるっていう事は、実にお騒がせな事ですね。
一つ一つのことに笑ったり泣いたり、実に忙しいことです。
モジリアニの絵をみていると、少し悲しい気持ちになります。
死後、彼の仕事は、高い評価を受け、彼の絵が世界中の美術館を回ります。オークションでは、十億ドルで落札されるほどです。
あの世があるとすれば、モジリアニ、妻のジャンヌ、お腹にいた子、孤児になった娘のジャンヌ、
四名の家族が静かに地上を見下ろしているのでしょう。
ゆりの絵の一回目、二回で完成させる予定です。
カンバスはM
細長いです。上と下から正方形を取ります。
上の正方形に、花が描かれます。
百合のつぼみの菱形のシェイプが面白いです。
中には、白い大きな花びらが隠れている事を想像しながら描くのは楽しい事です。
百合といえば百合根、お正月に作る茶碗蒸しに入れると、ホッコリ崩れてその頼りない食感が好きです。
お正月にしか食べない物ってたくさんあります
栗きんとん美味しいですね。あと、北海道では、クジラの脂身を使ったけんチン汁なんかもあります。
花瓶の壺の中にも、茎がささりこんでいるイメージで、レントゲンのように描いておきます。
あとで、わからないようになりますが、描いてくのとおかないのでは全く違います。
見えないものは描かないというようには、ならないのが絵の面白いところです。