NHK猫のしっぽカエルの手を毎週見て、 ベニシアさんの近況を確かめるのが習慣になりました。 しかし、今日も再放送でしたね。 ベニシアさんの近況はどうなのか心配な反面、 なにか詳しくは聞きたくないという気持ちがあります。 悪い話は後でという気分です。   進行性の病気は、ベクトルの向きが一直線で、 分岐はあるけれど、後戻りすることはありません。   北海道のこの空は同じ、京都大原まで続いています。 ベニシアさんも同じ空を見上げているのかもしれません。 自然とアートと人生、と並べるより 「アートは人生そのものだ」 といっていいかもしれません。   アートのない人生は、色彩がなく、 自分の感覚をみがけないので、 大事な何かを自分自身で感じることはできないでしょう。   人と比べてうらやんだり つまらないウソをついたりするのでしょう。   耳をすまして、息を止めて、自然と人生を見つめていく、 「よく見る」 ことが大事なのでしょう。   毎日を「よく生きる」そして、「自分からはやめない。あきらめない」 大きな自然の流れに身を任せて、納得して進むしかありません。   コナンドイルの、シャーロックホームズの話にはまった子どもの頃、 シリーズの最終話を読むことはできませんでした。 それを読んでしまったら、すべて終わってしまう。 そんな恐怖に近いものを感じたのです。   子ども時代は魂がフレッシュなので本能的に気付いたのでしょう。 だから、私の中では、まだシャーロックホームズが生きています。 読んでいない、話が一つあり、まだ終わっていないのです。 待てば海路の日和あり 今日は静かな雨が降っていました。   霧雨でした。こういう日は、なにか昔のことが思い出されますね。 もう会えない人、例えば、亡くなった人、会わないと約束した人。 又は訳あって合うべきではない人もいますね。   しかし、時が解決する場合もありますが。   時間は矢のように過ぎていきます。 寝ている間も休まずに 四季のある日本では、それがとてもわかりやすく目に入ってきます。   外国のエッセイを読んでいたら、 外人から見たら「日本人は冷たい」と書いてありました。 「人づきあいが淡泊だ」なんですって。   確かに欧米から見ると、クールなのでしょう。 ハグもしないし。 欧米人は、家庭でパーティをよくするし、贈り物の文化もすごいです。   理由として、日本は、地震や台風などの災害が繰り返しやってきて 「天地異変の多いこと」「災害であっという間に白紙に戻る」経験を積んできた。   祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり ある種のはかなさが、日本人の芯に焼き付いているのでしょう。   今日は ピーマンとトマトを書きました。間違い探しではありませんが、2枚描きました。 ピーマンの緑とトマトの赤は、補色関係にあるので、画面がとてもギラギラしてしまうのです。 そこを、押さえる整えるのが「ホワイト」です。 ホワイト自体はチューブから出した状態では、真っ白なので、そこで、色を押さえていくことになりますが、 寒色系の色を下に塗ったうえに乾いてからのせていくことになります。 テーブルの面とコンポートの面をキチンと合わせることが必要ですね。 しかし、ピーマンとトマトの静物画なんていうのは、世界でも珍しいんではないですかね。 北海道はこれから冬に向かっていきます。 人生を四季に例えるならば、まさに冬の時代。耐え忍ぶ時です。 雪が降ると空気が浄化されます 空気が澄むのがはっきりとわかります。 氷と雪で大地は冷凍され殺菌されます。   悩んでないで、薪を切り火をおこさないといけない。 寒くて死んじゃいます。   冬の北海道に来てみてください。 きっと、何か感じることが出来ます。
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