モジリアニの絵画 イタリアの伊達男、 駅員のいる群像④ 

 モジリアニは日本でも結構人気がありますね。

なぜ、いきなりモジリアニというと、あのピカソも影響をうけたという、原始彫刻や子黒人彫刻を見ていたら突然ひらめいたのです。

エコールドパリの一員として数えられていますが、あの独特の長い顔にハイライトのない瞳、彫刻が出発点の絵だということがわかりますね。

生涯でただ一度の個展は、あまりぱっとしなかったようです。死後の評価の高まりについては知らずに、若くして亡くなrましたね。

35歳没

また、ハンサムで非常にもてていた、その伊達男ぶりが、伝られていますね。さすがに、イタリア男、女性の注目の的だったのでしょう。

肖像画がほとんどで、風景が数点、早くなくなったので、作品数も少ないですね。さてこれからというときに、貧困とアルコールで寿命を縮めることになりました。まだ、結核が死病といわれていた時代です。

彼の逸話で、映画にもなった、愛の物語は、ジャンヌの悲劇的な最後で幕を閉じますが、あの当時の売れない画家と、美しいモデルの話はやはり、パリに咲いた、芸術という、切なくも美しい時代の物語なのでしょうね。

ジャンヌは自分自身でも絵を学んでいて、数点の絵が残されていますね。若い才能があふれている絵です。無口で繊細だったといいます。親の反対を押し切って付き合い始めたといいます。

モジリアニはユダヤ教、ジャンヌはカトリック

日本でおなじみなのは、藤田嗣二のモデルをしていたこともあったからですかね。写真で見る彼女は、物静かそうな鋭い目をした女性です。

モジリアニとの間に女の子一人

モジリアニが、死んだときにも妊娠をしていた。

モジリアニが、死んだ次の日、アパートの5回から身を投げました。

その時、1歳2か月の女の子は何にも知らずに親戚に育てられました。やがて、自分の出生の秘密が明かされたとき、亡き父モジリアニを研究しはじめ、のちに本を出版したということです。

 

ということで、今日は人物の顔をのばしてみました。(笑)

単純かつ、造形的にするためには、それなりの思い切りが必要ですね。モジリアニよりもピカソっぽくなりますね。

この、単純化された顔を少し追求していきたいと思います。

フレッシュチントを後ろの空間にしました。色が激しく強烈なので、こういう乳色が必要になります。こういう中間色が必要になります。

こういう、強い色どうしをくっつける接着剤の役目する色は初めから少しずつ入れていった方がいいようです。

 

 

 

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