ゴッホの生きざまと終活問題 バス停のある群像⑤ 

 

今から128年前の、1890年7月30日午後3時、パリの北、オーヴェルは、猛暑でした。

そこに、いたのは、テオ、エリック・ベルナール、そして、あのタンギー爺さん、医師ガッシュ、

3日前に、ピストルで自殺を図ったゴッホの葬式でした。

生前に売れたのは「赤いブドウ園」400フランのただ1点、

テオの援助頼みの油絵制作。

 

奮闘努力の甲斐なく、4歳違いの弟テオの援助のもと37歳で生涯を閉じました。

その奮闘ぶりは、10年の間に数千点もの、油絵やデッサンの成果を上げたのにも

かかわらず、その対価は支払われず。

特に後半の、星月夜あたりからは、もう、精神が研ぎ澄まされすぎて、純粋性の極致、空間が薄いガラスのように

今にも割れそうなように、メリメリ。パキパキと音を立てるような緊張感があります。

風景もいいですが、人物画も興味深く、人の内面を見るような、鋭い視線と、ほんの少しの人の好さを感じます。

 

昨年のゴッホ展では、やはり、ゴッホは凄いな、100年以上前の絵なのに新しい、普遍性を持っているなと、感じたところです。

日本人にもわかりやすいところがいいですね。ゴッホ自身も、ジャポニズムの影響をもろに受けていたこともありますし。

 

フランスでは、(パリ)では、やはり、ゴッホはオランダ人ですから、セザンヌの方が評価が高いようですね。

確かに、フランスのエスプリとは、相受け入れられない、泥臭くも必死な命がけの努力でしたね。

 

神様は、何をしていたのでしょうね。

この、128年前のこの時点では、この哀れな画家は苦難の生涯を終え、ようやく解放されたと

見ていたことでしょう。

 

彼の絵は、今、全世界の人々を幸福にしているというのに。

 

この後、数週間後、なんとテオが精神錯乱、精神病院に収容、腎臓病も悪化翌年1月21日、ビンセントの死から

6か月後、兄の後を追うように死亡。23年後に遺骨は移された、「不思議な、縁で結ばれた、美しい兄弟愛」

同じく、オーヴェルの共同墓地に、ビンセントの墓の隣に、同じ大きさの墓石で

今は二人寄り添うように眠っている。

田舎の麦畑の中の共同墓地、あの、オーヴェルの教会の近く、いつか、行きたいですね。

さて、Cの方を急いでいますが、なかなか進みません。後ろの空間の右側の建物は取り払いました。空間が狭くなって

息苦しくなってきたので。左側はビルにしました。複数の人をシルエットで入れる予定です。

どんどん奥行きがなくなっていくところが心配ですね。

段々、考えた通りにはいかなくなってきました。こういう時に無理に、進めてもダメになる可能性があります。

少し、休ませた方がいいかもしれませんね。

 

さて、終活問題、私の書き溜めたこの絵の数々は死んだあとどうなるのでしょうか、きっと、処分場で砕かれて

焼却されるのでしょう。

家族に2~3枚の絵を残すのみになるでしょう。

本人が、十分楽しんだらそれはそれでいいのでしょう。

一番いいのは、公的な美術館に収蔵されることですが、これは夢のまた夢ですね。

 

 

 

 

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